
4-5.
発展する兵庫県
明治 7 年(1874)大阪・ 神戸間の鉄道が開通し,明治 22 年(1889)に東京新橋までつながります。この年には山陽鉄道により神戸と姫路の間が結ばれます。県北部と南部の間には、明治9年(1876)生野銀山から飾磨まで生野鉱山寮馬車道(銀の馬車道)が敷設され、このルートに沿って明治 27 年に播但鉄道(姫路~寺前間)が開通します。さらに丹波方面には明治 37 年に阪鶴鉄道(現福知山線、大阪~舞鶴間)、 但馬方面には明治 45 年に山陰本線が開通します。港湾の整備も進み,明治 25 年には兵庫・神戸をふくむ全体が神戸港となり、やがて横浜港を抜いて日本一の輸入額を誇るまでになりました。神戸港をかかえる兵庫県の地の利を生かし、造船、紡績やマッチ製造、ゴム製造などの現代まで続く新しい産業が盛んになります。このように兵庫県の近代化は鉄道網と港湾の整備が牽引し、「海と陸のネットワーク」が兵庫五国を結びつけました。