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町のにぎわい
西国街道や船便を利用する旅人や参勤交代の大名、さまざまな商売に従事する商人たち、各地をめぐる船乗りたち、多くの人々がこの町を行き交いました。兵庫津の町へ西から入ると、まず柳原界隈に花街があり旅人を迎えます。その東側の神明町から小広町には本陣や旅籠などが集まっていました。街道の曲り角には高札場があり、街道沿いにはさまざまな商店が軒を連ね、多くの人々でにぎわいました。町の中には多くの寺社仏閣があり、生田神社の祭りである神幸祭や、嘉永5年(1852)におこなわれた雨乞い祭りなどの祭礼が町の人々により盛大におこなわれました。また酒造りも盛んであり、天保15年(1844)の記録によると、37件の酒屋がありました。この他、北風六右衛門家が醸造した「北風酢」は上質の酢として広く知られ、高値で取引されていました。酒や酢の醸造が盛んであった兵庫津では、必需品である樽の生産も盛んでした。兵庫津での酒造りが途絶えた後も木桶づくりにその技術が残っていました。