
3-3.
北前船の時代
兵庫津は大坂を重視する幕府の統制強化よって停滞を余儀なくされますが、18世紀後半から活発化する内海船(尾州廻船)や北前船の活動により繁栄を取りもどします。内海船(尾州廻船)は知多半島の内海などを本拠に江戸と瀬戸内を結び商品の売買をおこなう買積船です。兵庫津はその拠点となり、ここで船具や備品、売買する商品を買い入れて、伊勢・浦賀・神奈川・江戸へと向かいました。北前船は日本海、瀬戸内海を経て兵庫津・大坂にいたる西廻航路に就航した廻船です。船主自らが商品を売買する買積船であり、江戸時代中期から幕末にかけて発展し、18世紀末には航路は蝦夷地(北海道)にまで延びます。瀬戸内各地からは衣類や米、酒、塩など生活必需品を積みこんで各地で売買し、北海道からは肥料となるニシンの絞り粕や昆布などの北方の産物を持ち帰りました。「兵庫の北風か、北風の兵庫か」と称された兵庫津の豪商・北風荘右衛門貞幹、船の帆の改良や択捉島での築港に活躍した工楽松右衛門、ロシアとの外交問題解決に尽力した高田屋嘉兵衛など兵庫津ゆかりの人々の活躍により、北前交易は隆盛をむかえます。