ひょうごはじまり館

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2-5.

「日本国王」の港

14世紀に建国されたみん倭寇わこうによる害を防ぐため、外国との貿易を正式な外交使節のみに限定しました。足利義満あしかがよしみつ法名ほうみょう道義どうぎ)は応永8年(1401)明に使節を派遣し、明の永楽帝えいらくていから「日本国王」として認められ、日明貿易がはじまります。輸出は日本から明への貢物みつぎものという形をとりますが、明はその数倍の返礼品を用意したので、義満はばく大な利益を得ることができました。日本からは刀剣、屏風びょうぶおうぎ硫黄いおうなどが輸出され、明からは絵画、陶磁器とうじき漆器しっき、銭などが輸入されました。兵庫津ひょうごのつは貿易船の発着港となり、義満は明の使節を送迎するため、たびたびこの地を訪れました。その回数は応永9年(1402)から応永15年(1408)の7年間に11回を数えます。兵庫津は朝鮮ちょうせん琉球りゅうきゅうとの交流の窓口ともなり、幕府の保護のもと「日本国王」の港として繁栄しました。