ひょうごはじまり館

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国際交流の港

江戸時代の兵庫津ひょうごのつには朝鮮ちょうせん琉球りゅうきゅう、オランダなど交流のあった国々の使節が江戸へ向かう際に立ち寄りました。朝鮮通信使は朝鮮国王から将軍の代替わりごとに派遣され、江戸時代を通じて11回兵庫津に立ち寄りました。使節の接待場所となった兵庫津には大船団が到着し、町の人々が宿舎や船の提供を負担しました。そのうち、宝暦14年(1764)にやってきて兵庫津に立ち寄った最後の宝暦度ほうれきど通信使については多くの記録が残されています。そのひとつ「朝鮮人御用覚ごようおぼえ日記」は、北浜惣会所そうかいしょが次の来訪に備えて、会所の日誌より宝暦度通信使関係の記録を抜き書きしたものであり、宝暦12年(1762)の受け入れ準備の開始から同14年(1764)の精算事務まで約3年間にわたる記録です。通信使の接待に使う魚の入札不調にまつわる役人と商人のかけひきや通信使の乗船が難破しそうになった時の兵庫津の人々の活躍のようすなど、町方と幕府、尼崎藩がどのように通信使を迎え入れる準備を進めたのかくわしく記録されています。