ひょうごはじまり館

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2-4.

湊川みなとがわの戦い

元弘3年(1333)、鎌倉幕府が滅亡し後醍醐ごだいご天皇による建武の新政がはじまりました。しかし新政と折りが合わなかった足利尊氏あしかがたかうじは、建武2年(1335)挙兵します。尊氏は一時は京都を奪い取るものの北畠顕家きたばたけあきいえらに京都を追われ、再起をはかるため、播磨の赤松円心あかまつえんしんの協力を得て、九州へと退きました。九州で力をたくわえた尊氏は京都をめざして東上し、兵庫・湊川で新田義貞にったよしさだ楠木正成くすのきまさしげらとぶつかります。当時の兵庫津ひょうごのつは、西国から京都へ荷物を運ぶ重要な港であり、ここの争奪をかけた戦いが湊川の合戦です。ここで勝利したものが京都(政権)を手に入れることになるのです。少弐しょうに氏ら九州勢を率いた足利尊氏は、途中で赤松円心とも合流して、水陸両軍で兵庫に攻めかかります。これを迎えつ建武政権側は新田義貞とその一族が兵庫津から和田岬にかけて、楠木正成は会下山えげやまに陣を構えました。戦いは足利軍に押された新田義貞らが東へ退却し、孤立した楠木正成は奮戦するものの湊川の北で自害、足利軍の大勝利で終了しました。