ひょうごはじまり館

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兵庫北関きたぜき南関みなみぜき

兵庫島が発展したもう一つのきっかけは、税関が置かれたことでした。この税関は、兵庫関とよばれました。延慶元年(1308)に東大寺へ、延元3年/暦応元年(1338)に興福寺へ、税の徴収権が与えられました。東大寺が管理したのが北関、興福寺が管理したのが南関です。この税関の主な役目は、入港する船から関税を徴収することであり、逃れようとした船も追いかけて徴収しました。この両関のうち東大寺が管理した北関で作成された、文安2年(1445)1月から翌年1月までの徴収額の出納すいとう帳簿が残されています。「兵庫北関入船納帳いりふねのうちょう」というこの資料は当時の瀬戸内海を、どこの船が何を運んでいたのか知ることができる水運史研究上重要な資料であり、世界的にもドイツのリューベック港の入港記録(1379年)と並ぶ貴重な資料です。