ひょうごはじまり館

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2-1.

港から港町へ

鎌倉時代に入ると、この地は「兵庫」、「兵庫島」、そして「兵庫津ひょうごのつ」とよばれるようになります。兵庫県の名称の由来ともなっているこの「兵庫」とは、元はこの周辺にあった荘園(兵庫三カ荘)の名前であり、そこからこの地の名称として使われるようになりました。
大輪田泊おおわだのとまりは、一ノ谷の戦いの戦場のひとつとなり、平家が敗れると公的な管理の行きとどかない状態に戻っていました。しかし鎌倉幕府が誕生し、全国的に都市形成が進むなかで、大輪田泊も港町・兵庫津へと変化をとげていきました。