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夢のはじまり
保元、平治の乱で勝利し、武士の第一人者となった平清盛は太政大臣にまで上りつめ、一門は繁栄を極めます。政治の一線から身を引いた清盛は、仁安4年(1169)3月に摂津国八部郡福原に別荘を構え隠棲します。そこで清盛は荒れていた大輪田泊を私費を投じて大改修すると、これまで博多でおこなわれていた日宋貿易を直接大輪田泊でおこなうなど、港の繁栄の基礎を築きました。清盛はこの福原に海洋国家の新しい都を築こうとしたのです。反平家の反乱により京都が騒然とする治承4年(1180)、清盛は高倉上皇や安徳天皇をともない福原遷都を強行します。福原に移るとただちに新しい都の建設計画が検討されます。しかし測量してみると面積が足りないため、大きさを小さくする案のほか、昆陽野(伊丹市)や印南野(加古川市、稲美町)などが新しい都の候補地にあがりますが取りやめとなり、福原周辺の土地を開拓して貴族に宅地を与えることになりました。この新しい都もわずか半年で京都へ帰ることとなったため、清盛の夢は未完成に終わりました。